必殺!セルライト潰し

2010年05月03日23:00

体中脂肪でポヨポヨポヨポヨ…。
これはさすがにイカンので、セルライト潰しというのにチャレンジしてみました。

滑りをよくするためにクリームなどを塗って、脂肪を指で握り潰すようにギューっと摘むます。
わたしの場合、脂肪が分厚いので“掴む”感じになりますが(T_T)
この掴みがめちゃくちゃ痛いです!でも痛いくらいじゃないとセルライトは潰れません(ノ_・。)

次回ライブまで3週間切りました。なんとしてでも前回より軽く舞う?私をお見せしたいです(>_<)
頑張りますっ!

プロフィール18

2010年05月02日00:32

新しい生活は毎日毎日忙しくて、1日の睡眠時間が3時間というのが普通に続きました。

そのせいかどうかはわかりませんが、わたしは内臓を痛めてしまいました。

もう治ることはないのですが、投薬の効果もあり、最近は落ち着いています。



新しい生活が始まって約1年後、またバンドで歌う事になりました。
関西アバンギャルドオーケストラというホーンセクションを備えたバンドです。
ここで、わさびのキーボーディストとなるスーザン(なおぢちゃん)と知り合いました。

同じ頃、わさびのドラマーとなる“兄貴”と知り合いました。

この半年後にわたしは「わさび」に加入することとなります。



わたしは皆に出会えた事を本当に嬉しく思っています。

体調がすぐれない時も温かく見守ってくれたわさびメンバーのみんな(グッチャン、ちあきちちゃん、“父さん”、“兄貴”、スーザン、よーちゃん)にはとても感謝しています。

よーちゃん、わたしを歌の世界に引き戻してくれてありがとう。
「あんたは歌だけ歌っとったらええ」
あの時、そう言ってくれなければわたしはここには戻ってこれなかったでしょう。
普段は恥ずかしくて口に出さないのですがここで言わせて下さい(笑)



長いブランクのある私を快く受け入れてくれた関西アバンギャルドオーケストラのみんなにも感謝しています。
今は活動をお休みしていますが、またいつか再開出来ると信じています。


それから、いつも応援してくださる皆様、本当にありがとうございますm(__)m
ホームページ見たよ!曲聞いたよ!ライブ見に行くから!と言っていただける一言一言が、どれだけわたしの励みになるか…とても書ききれません。


そして、そして、わたしの両親。いろいろ心配かけてゴメン。いつもありがとう。

最後にわたしのドラ息子!
いつも応援ありがとう。でも、朝もうちょっと早く起きてくれない?朝から大きい声出せん(>_<)
あ、宿題もさっさとやってほしいなぁ、あと…(止まらないので割愛)


そしてそして。
長い連載を最後まで読んで下さったアナタ、どうもありがとうございましたm(__)m

これからも超マイペースで頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

本当に本当にありがとうございましたm(__)m

5月23日(日)西九条ブランニューでお会い出来るのを楽しみにしていますっ(#^.^#)

プロフィール17

2010年05月01日22:13

バンド活動を止めてからも、営業のアルバイトやバンドのお誘いをいただきました。

少しなら続けられると思っていたのですが、環境が許してくれず、やがてアルバイトの依頼も来なくなりました。

歌から離れたわたしは、一切の音楽を身の回りから遮断しました。テレビの音楽番組さえ見ませんでした。

そんな状態が7年近く続いたある日、近所に住んでらっしゃる方とお話する機会がありました。

その方はしばらくわたしの顔を見ておられたのですが、「LADYのボーカルの方ですか?」とおっしゃったのです。

本当に驚きました。10年以上も前の事を覚えてらっしゃったのです。
その方はわたしと同じ年齢で、何度かわたしの歌を聴いて下さっていました。

青春時代の話に花が咲いたのは言うまでもありません(笑)

不思議な事に、それから立て続けに、どこそこで歌わないか?というお誘いをうけるようになりました。
営業はあいもかわらず行けなかったのでお断りするしかなかったのですが、打ち込み音源に歌を入れないか?というのをお引き受けする事にしました。

作曲はするけど作詞はしないし歌わない、という方はインターネット等で自分の作品を発表する時には、誰かに歌ってもらわないといけないとの事でした。

自宅録音出来る機材は持っていなかったのですが、自由に出来る僅かななけなしのお金でデジタルのMTRを購入しました。

機械は得意ではなかったのですが、真面目に取り組んだご褒美か使いこなせるようになりました。
それがきっかけで、今では機械好きパソコン好きでもあります(笑)

一人の作曲者と作品を完成させると、DTMネットワークがあるようで、他の方からもお話をいただく事になりました。

そうやって、半年以上が過ぎた頃わたしはまた家庭の事情で(自分の事情でもありますが)生活を激変させる事となりました。

プロフィール16

2010年05月01日22:12

よーちゃんは音楽学校に通う男の子でした。

自分のイメージに合うボーカリストがなかなか見つからないと言っていました。

わたしの事は楽器店の店長からきいたそうです。

わたしが歌っている映像を見て、「この人でもえーかなー」と思ったみたいです。

よーちゃん達はメロディアスな楽曲のメタルバンドでした。
ちょうど歌う場所をどうしようかと思っていたわたしは、彼らのバンドで歌う事になりました。



様式美メタルに想像力を刺激されて、それまで書いていた歌詞とは違い、その頃の作品は非日常的なものへと変わりました。


古典文学を専攻していた私は必要に迫られて、民俗学・史学・宗教学等もかじっていました。

そのお陰で、伝承や神話や人間の狂信的な行動等を多く取り上げる事ができました。

なんでも好き勝手に取り上げるわたしでしたが、実在の人物の名前を書かないという私ルールが出来上がったのもこの頃です。

ある日、デモ音源を聴くとすぐに、ありありと映像が浮かんできたので、一気に歌詞を書き上げました。
その時、少し躊躇したのですが、実在の人物名を一度使いました。
その夜遅く、いえ、もう明け方だったと思います。
わたしは俗に言う金縛りにあいました。
しかも体の上に…
歌詞の人物がっ!!

すみません、怖がりなのでこれ以上は書けません(T_T)
とにかく本当に怖かったです。

以来、実際にあった出来事を扱う時でもハッキリそうと分かる書き方はしない事にしています。

わさびに「逢魔の間」という曲があるのですが、誰が何がモデルなのか、かなりの戦国武将オタクでないと分からないように仕上げてあります。



このバンドでのライブやレコーディングが一通り終わって、しばらくの後、わたしは音楽活動から離れる事になりました。

家庭の、というかわたしの事情なんですが、生活が根本から変わってしまい、外出する事もままならなくなったのです。

プロフィール15

2010年05月01日11:10

初めて自分から行ったメンバー集めは比較的スムーズでした。

意識したわけではないですが、最初に決まったギタリストが女の子で、ドラムとベースも女の子になりました。


ギタリストは作曲しましたが、既存曲以外を…となると曲作りを急ぐ必要がありました。

わたしも曲作りをしようと思いたち、思いたち、お、思…(-.-;)


作曲って…。

どうやる…ん…?!



初めて作詞をした時とは全く違う感覚でした。

乱暴な言い方をすれば、詩は向こうからやって来てくれます。

曲は、気配すらありません。

何も浮かばないまま、ひたすら鍵盤を捏ねくりまわし、メロディらしき物が出来上がります。
ざっと譜面に書き留め、ルートを乗せます。ルートも書き留め、次は和音を…和音…コード…(T_T)

コードって在りすぎてわからへんっ(┬┬_┬┬)

メロディと一緒に鳴らしたら、変じゃないけど気持ちよくない!
という情けない状態が続きました。

作曲出来る人って、頭の中ではフルオケで鳴ってるらしいですね。モーツァルトもそう言っておられます。

かろうじてこの曲は仕上げましたが、人前では1回しか演奏しませんでした。

以後、わたしは曲を作っていません。
根性無し丸出しですが、やっぱり根性無しですね(>_<)


私達4人はとても仲良く活動していましたが、メンバー2人の就職や引越しなどが重なり、続ける事が出来なくなりました。


また新しいメンバーを探さないとなぁ〜と思っていた頃、あるベーシストに声をかけられました。


皆様よくご存知のわさびベーシスト、よーちゃんです。

プロフィール14

2010年05月01日09:46

解散ライブの写真を今見ても、わたしはとても楽しそうに歌っています。


アンコールは2回いただきました。2回はこの時と翌年にもう一度だけしか記憶にありません。


このバンドで、いろんな事を学んだなぁと思います。


進歩がなさすぎると情けなく感じますが、今の私はこの時とあまり変わっていません。
見かけはどっぷりオバチャンになってますが(^-^;


解散後、1年近くはアルバイトと学業に専念しました。
時々セッションをしたりしましたが、固定バンドでの活動はしませんでした。


わたしは国文学を勉強していたのですが、とりわけ興味を持ったのが古代文学でした。
その中でも和歌が面白いと感じました。
どうせ時代を巻き戻すなら古い古い時代へ飛ぼう!と思い、万葉集に取り組みました。


平安時代(以降)は華やかで技巧も卓越した素晴らしい作品が多く有名な歌人だらけなんですが、私はあまり興味をそそられませんでした。


わたしが最も尊敬する歌人は柿本人麻呂です。
人麻呂と呼び捨てにするのは恐れ多いので人麻呂大先生ですね。


そのお陰か、作詞する時には今でも役立つ事があります。
わたしの作品の中で「何を歌ってるのか難しくて解らない」とお褒め?いただくものが有りますが、あれは意図的にそのような言葉を選んでいます。




初めての学園祭を目一杯楽しんだ頃、LADYのリーダーから電話がありました。
今年の高校生音楽際でのゲストステージの依頼があったのです。


ゲストステージのために集まったメンバーは皆少し大人になっていました。

自分で言うのは恥ずかしいのですが、雰囲気のいいステージだったのではないかなと思います。

しばらくまとまった活動をしていなかった私にはいい刺激になりました。


そしてポップスからは少し離れて、ハードなものを歌いたいと思いはじめていました。

プロフィール13

2010年05月01日01:27

エントリーナンバー5番、近畿ブロック代表LADY!

自分達がグランプリだと司会者の方が発表した時、わたしは実感がわかず、ぼーっとしていました。
ベーシストがわたしに抱き着いてきたので、優勝したんだな〜と思いました。

リーダーはニコッ(^-^)というより、ニヤリ( ̄ー ̄)と笑っていました(笑)




…帰りの新幹線の中で、「このままじゃあかんと思う。」とリーダーは言いました。


高校3年の冬休み、メンバーはそれぞれ進路が決まっていました。
リーダーは音大へ。
ベーシストはプロを目指しフリーターへ。
ドラマーは保母さんになるため短大へ。
ギタリストは語学を生かすために大学へ。
わたしは明確な目標のないまま、大学へ進学する事になっていました。


リーダーはもっと完全プロ指向のメンバーでガッチリ固めたかったようです。



年も改まり、私達は解散ライブに向けて動き出そうとしました。
が、コンテスト優勝のおかげで、あちこちからお声がかかるようになり、数千人規模の大きな会場でも演奏する機会もいただきました。

それは今でもとてもいい思い出になっています。

解散ライブは卒業の少し前になりました。
ワンマンライブだったのですが、小さなライブハウスということもあり、お客様が入りきれずに店の前にあふれていました。

それなのに、これで最後という実感は恐ろしいほどありませんでした。

プロフィール12

2010年05月01日00:18

本番は日本列島を8つのブロックにわけた北側から順に演奏されました。

北海道
東北
関東
中部・北信越
関西
中国・四国
九州
沖縄

私達は5番目でした。

楽屋は各バンド個別ではなく、8バンド(正確には7バンドと個人)全てが大会議室のような場所にいました。
そこにはモニターが有り、ステージの様子はよくわかりました。

8バンドそれぞれ個性的でイメージが重なる事はありませんでした。

コンテストなので、お互いがライバル、ピリピリした空気かと思いきや、ワイワイガヤガヤ。和気あいあい。
高校生って何してても楽しいんです(笑)


それはさておき…。

本番は私には珍しく緊張しませんでした。広い広い会場、しかも客席は暗いのにお客様の顔が一人一人ハッキリと見えました。

もう歌う事が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
しかもマイクはワイヤレスで自由に動き回れます。

調子に乗った私は、何を思ったか客席に下りる事にしました。
曲の1番が終わり、2番を歌い始めてステージを下りました。

客席中央目指して歌いながら走ったつもりでした。



バキッ!!!!

膝に大きな衝撃が走り、かと思うと私は地面に倒れていました。
会場が真っ暗で、足元の段差と安全柵が全く見えていなかったのです!

こんなところでこけるなんて!私はどれだけアホなんやろう!
と、実はその時は思う余裕さえありませんでした。
とにかく、会場のお客様に私の歌を聞いてもらいたい!
わたしがここにいる事を見て欲しい!
その一心で必死に本当に必死に歌いました。


倒れた弾みで、音程は見事に外していましたが、かろうじて歌い続けていました(笑)


後からビデオで確認してみると、ネックレスはぶっちぎれ、網タイツは破れて膝を擦りむいていました。
ほんまにアホですね(笑)



本番はなんとか終わり、審査発表を待つ間にリーダーは言いました。
優勝は沖縄だと思う…と。

沖縄代表は、今も沖縄が抱えている問題をテーマに直球のメッセージソングを演奏していました。

私は、どこが有力かわかりませんでした。

そして…出場者全員がステージに上がって、審査発表の時がやってきました。

プロフィール11

2010年04月30日17:50

大会の前日に東京入りした私達は、リハーサルのために真っ直ぐ会場に向かいました。

会場は赤坂だったのですが、楽器を担いだ女の子達を見て、タクシーの運転手さんはTBSに向かうと勘違いされていました。

田舎っぺの私のどこをどう見たら芸能人に見えたのか今でも疑問です(笑)


会場はとても広くて、気持ちのいい所でした。

そして素直にスゴイなぁと感じたのがワイヤレスマイクでした。
今まで有線しか使った事が無く、いかに線をカッコヨク振り回すかも日々の課題にしていた私にとって、無線は目からウロコ、神様の啓示でも授かったように感激的な出来事でした。

私のパフォーマンスが変わるかもしれない…!
そう感じました。

ご存じのとおり、チビコロ(正確にはチビデブ(>_<))の私は、少しでも自分を大きく見せたいという本能が過剰に働き、体操してんの?みたいなステージングになりがちでした。

楽曲の魅力と共に、美しさとかわいらしさもアピールしなければならないガールズバンドにあるまじきボーカリストだったのです。

ワイヤレスは線が絡まる事はないですから、くるんくるん回り放題、ピョンピョン跳び放題ですごく嬉しかったです。

以後、わたしはワイヤレス愛好家になりました。

プロフィール10

2010年04月30日00:14

私達はコンテストの後、新曲をガシガシ作り、ライブに力を注ぎました。

月1回のペースでライブをこなし、とても有り難い事に回を重ねる度にお客様が増えていきました。
そして普通に町を歩いていたり学校帰りに、知らない人から声をかけていただいたり、サインを求められるようになりました。

地味でパッとしない私がこんな風になるなんて…。
なんだか「自分」は「自分」でいいのだと、その時初めて思えたように思います。
ま、今でもコンプレックスの塊には違いありませんが(笑)


そんなある日、夏休み直前でした。リーダーがあるコンテストのテープ審査に応募したと言いました。

第1回高校生音楽祭。

完全オリジナルバンドのみがエントリー出来るとの事でした。

奈良県予選を通過した私達は近畿ブロック大会へ進みました。

そして近畿ブロック代表を勝ち取った私達は冬休みに行われる全国大会へ進む事になりました。

全国大会は8つのブロックから各1バンドずつ選出された8バンドが激突するとの事でした。